history

伝統ある製造問屋からハイカラな洋品店へ…。大胆な業態改革で誕生した「ライオン堂」

 リオン・ドールコーポレーションの歴史は、初代・小池嘉吉が明治25年(1892年)に喜多方菅原町にて興した小池漆器店から始まります。当時、漆器業は会津の伝統産業。そのなかでも小池漆器店は確かな品物が評判を呼び、製造問屋として全国の大店をお得意様としていきました。
 時は移って終戦直後の昭和23年(1948年)。三代目・小池嘉吉は漆器業からすっぱりと手を引いて会津の大繁華街・神明通りに洋品店『ライオン堂』を開業します。この時代としては珍しく靴のまま入店できるハイカラなスタイルも相まって、ライオン堂は一躍会津の有名店に。まだまだ物資が不足していた当時、あらゆる物が面白いように売れたそうです。

スーパーマーケットという新時代の便利さと満足を、いち早く実現。挑戦が、地域の新たな満足に。

 ここで注目したいのが、ライオン堂のような店はそれまで会津地方に一店もなく、習うべき教科書も先生も存在していなかったという事実です。記録では漆器店時代からの従業員が日々忙しく働いていたとありますから、全員が素人も同然の状態で新しい小売業を学び、その商売のあるべき姿を手探りで構築していったのでしょう。そして、戦後の混乱期を抜け、ライオン堂の勢いも落ち着きを見せると、三代目・小池嘉吉の頭に「衣料品店でも食料品を扱ってみてはどうだろう・・・」という考えが浮かびます。日本では“スーパーマーケット"という言葉がようやく関西で聞かれはじめた頃のこと。その可能性を確信し、すぐさま実行したのがライオン堂だったのです。

常なる挑戦と変革の中で変わらなかったもの、それは「良い会社を創る」という旗印。

 もし、三代目・小池嘉吉が失敗のリスクを取らずに現状を維持し、何も行動を起こさなかったならば、きっと現在のリオン・ドールは存在しなかったでしょう。同じように、四代目となる現社長・小池信介が、それまで親しんできた社名とさえも決別する大胆なCI(コーポレート・アイデンティティ)を決行していなければ、現在のような“自由度"の高い健全な経営と“チャレンジ精神"に富んだチーム力は生まれていなかったかもしれません。『失敗の自由』…それは、120余年の歴史の中で培われてきたアグレッシブな流儀。創意工夫に富んだ挑戦は、今日も「リオン・ドール」の明日を創造しています。
 私たちの常なる挑戦と革新は、『良い会社を創る』『社員・地域を守る』という不変の思いによる選択であり、また成果であったといえます。地域のお客様にとって、また働く人たちにとって、そして取引先の方々にとっても良い会社であること。この永遠の旗印がある限り、私たちは失敗を恐れず、誇りと使命感をもって歩み続けていくことでしょう。

リオン・ドールの沿革

失敗の自由とは

成功の逆は失敗…?

リオン・ドールの解釈は違います。
私たちの職場では、成功の逆は何もしないこと。
そもそもスーパーの売場は創意工夫の連続です。
失敗を恐れて何もチャレンジしないのでは、
成功はおろか成長すら望めません。
それに、どの世界でも一流のプロというのは
誰よりもたくさんの失敗を経験しているものです。
どうかチャレンジと失敗から多くのことを学んでください。
そしてその失敗を価値のあるものにしてください。
当社には『失敗の自由』という社訓があります。
あなたが本物のプロを目指すなら、
私たちはあなたの失敗を全力で支え、応援します。